10代の証  終楽章・お言葉寄せて下されば励みになります

2017.12.17



秋21


軽井沢を訪問する度に行っていた軽井沢タリアセン

今回は訪れる時間がなかった

春 イングリッシュローズは可愛い花を咲かせたのだろうか

夏 塩沢湖の湖畔はカラフルなボートで溢れたのだろうか

ペイネ美術館 に飾られた恋人たちの絵を思いだすと微笑みがこぼれる

茶色と白のコントラストが美しい睡鳩荘は今でも湖畔に自分の姿を映しているだろう

恐怖でしかなかった軽井沢乗馬倶楽部での一度きりの乗馬の経験

足が前に出ず手すりから手を離すことが出来なかったアイススケートリンクでの臆病な私

様々な思いが交差し走馬灯のように脳裏を駆け巡る

東京以外の地域で私が最も好きな町である軽井沢

10代の足跡に20代の足跡を重ねておこう

10代の証を毎日ご覧下さった方々有難う御座います

お言葉寄せて下されば励みになります

また他のシリーズにおいても感想をお持ちでしたらお聞かせ頂ければ幸いです

宜しくお願い致します

りら


10代の証  第二十章

2017.12.16



秋25


秋26


ホームに学生の姿を見かけると安らぎを覚える

安全確認の鉄道員の方の真摯な姿に敬意を感じる

信濃追分駅は浅間山を望み 跨線橋が魅力的な駅ではある

だがホームの表示板には大日向開拓地徒歩20分と記されている

無謀な国策によるところの人々のご苦労が偲ばれる

この駅舎からこのホームから多くの方々が満州へと向かわれたのだろう

国は大日向の方々の満州移民を成功例としてして宣伝し全国から移民を推奨したのである

10代の頃には思いが至ることがなかった様々なことを信濃追分駅は20代の私の心に足跡を残した

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10代の証  第十九章

2017.12.15



秋23


秋24


信濃追分駅舎内・あたらさん編集室がある

「あたら=可惜」は「もったいない」の古語

2005年10月25日暮しの手帖別冊 「あたらさん」発刊

誌名の「あたらさん」は、“暮しの手帖が考える「あたら=もったいない」に「さん=SUN=太陽」の恵みをプラス”した造語だそうだ

「暮しの手帖別冊 あたらさん」は発売から一年4号をもって休刊

「もったいない」と惜しむスタッフと復刊を強く望む全国の愛読者の交流の場・また自費出版編集に関わっている

無人駅である信濃追分駅舎内またホーム等の清掃植物の手入等

あたらさん編集室と地元のボランティアの方々で行われている

1909年(明治42年)6月25日   国有鉄道の追分仮停車場として開業

1923年(大正12年)10月1日  信越本線の信濃追分駅となる

「西軽井沢」と駅名変更する計画も一時はあったが地元住民の反対で駅名はそのまま残った

長い歴史を持つ駅名変更 それを知った時地元ではない私でさえ怒りを覚えた

10代の時には知り得ない事実 今回の写真撮影で知り得たことは多々多く心揺さぶられることが多かった


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10代の証  第十八章

2017.12.14



秋22


江戸時代 中山道と北国街道の分岐点で浅間根腰の三宿の中でもっとも栄えた追分宿

様々な作家や詩人が訪れ 文学者の交流のあった地しても知られている

ローカル線しなの鉄道の駅 大正12年築 信濃追分駅

懐かしい木造造りの佇まいは旅情を感じさせる


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10代の証  第十七章

2017.12.13



秋19


秋20


10代の証  第三章で述べたごとく 私はホテル鹿島ノ森で食事をしている

写真はホテル鹿島ノ森の広大な庭の一部である

やはり第三章に記したがホテル鹿島ノ森敷地内にある小さな渓谷に湧き出る御膳水は雲場池の水源である

江戸時代から水質がよく湧水量も多いこの湧水は地元ではいつの頃かお水端と呼ばれた

諸大名や宮家などの御膳に用いられたことから御膳水と名付けられたと言われている

ホテル敷地内である遊歩道を通り自由に散策することが出来る

私は雲場池の水源である渓谷の湧き水を見る機会を失っている

そこは写真の緑の地からさらに階段を下らなけらばならない

階段を俯瞰すると私の身体では無理があるように思い断念することになった

こういう時に切に思う

写真撮影時だけでいい・・・・丈夫な身体になりたい


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10代の証  第十六章

2017.12.12



秋18


「こちらで冬を過すのは、この土地のものではない私共には、なかなか難儀ですが、この御堂が本当に好きですので、

こうして雪の深いなかに一人でそのお守りをしているのもなかなか愉しい気もちがいたします。」
 
この雪に埋まった高原にある小さな教会の管理をしている、童顔の、律儀そうなHさんはそんな事を私に言ったが、

こういうごく普通の信者に過ぎないような人にとっても、こちらで他所者のとして冬を過しているうちには、

やはりそういうロマネスクな気もちにもなると見える。

その教会というのは、信州軽井沢にある、聖パウロ・カトリック教会。

いまから五年前(一九三五年)に、チェッコスロヴァキアの建築家アントニン・レイモンド氏が設計して建立したもの。

簡素な木造の、何処瑞西の寒村にでもありそうな、朴訥な美しさに富んだ、何ともいえず好い感じのする建物である。

カトリック建築の様式というものを私はよく知らないけれども、その特色らしく、

屋根などの線という線がそれぞれに鋭い角をなして天を目ざしている。

それらが一つになっていかにもすっきりとした印象を建物全体に与えているのでもあろうか。

町の裏側の、水車のある道に沿うて、その聖パウロ教会は立っている。

小さな落葉松林を背負いながら、夕日なんぞに赫いている木の十字架が町の方からその水車の道へはいりかけると、

すぐ、五六軒の、ごみごみした、薄汚ない民家の間から見えてくるのも、いかにも村の教会らしく、その感じもいいのである。


堀辰雄作品・木の十字架・より抜粋




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10代の証  第十五章

2017.12.11



秋17


聖パウロ・カトリック教会の主任司祭カルロス・マルティネズさん

1959年来日64年から・半世紀以上を軽井沢で過ごしたカルロス神父は2016年3月・母国コロンビアに帰国

カルロスさんは信者以外のカップルにも教会式を挙げられるよう開放・これまで1万5000組以上を祝福

長年にわたり聖パウロ幼稚園長も務め・80歳の誕生日までは大型バスで園児の送迎もした

後任はカトリック横浜教区事務所にいた高野哲夫さん

聖パウロ・カトリック教会で挙式した二人は幸せになれる・・・堀辰雄氏が言ったとされている

私はそれを定かには知り得ないがカルロス・マルティネズ氏の長年に渡る神への教会への人々への愛

それを想う時・聖パウロ・カトリック教会で挙式した二人は幸せになれる・信じたい

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10代の証  第十四章

2017.12.10



秋16


フランク・ロイド・ライトに学び・1919年・帝国ホテル設計施工の助手としてライトと共に来日

アントニン・レーモンド設計 軽井沢聖パウロカトリック教会

1935年に英国人司祭ウォード神父によって「聖パウロ教会」として献堂された

アントニン・レーモンドの元で学んだ東京文化会館設計者である前川國男

前川事務所の出身者は代々木第一体育館設計者である丹下健三

丹下健三は国立新美術館設計者である黒川紀章を育成している

世界に誇れる設計家を数多日本から誕生させた人 アントニン・レーモンドによる設計

軽井沢の地にある木の十字架を私は10代の頃よりどれほど憧れてきたことだろう

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10代の証  第十三章

2017.12.09



秋15


旧雨宮邸西の家「他に新座敷と蔵あり」

雨宮敬次郎(1846〜1911)甲州財閥の一翼を担った実業家

事業の失敗と成功を繰り返し 明治21年(1888)に甲武鉄道の取締役・川越鉄道・北海道炭礦鉄道と関わり・日本鋳鉄会社を起し

36年・東京市街鉄道株式会社設立・39年・同社を辞した後・京浜電鉄・江ノ島電鉄の社長就任

肺病の転地療養のため軽井沢を訪れた雨宮敬次郎は1883(明治16)年1100町歩土地を購入・軽井沢最大の地主となる

翌年・離山下の1万坪の敷地に「雨宮御殿」と呼ばれる当時としては豪華な屋敷建設

植林事業成功・年30~40万本の落葉松を植え大正期には計700万本の植樹を行う

国道18号線沿いの南原交差点近くにある大きな構えの武家門を撮り損ねたことが残念である

現在離山地域及び旧雨宮邸は軽井沢町で取得管理している

旧スイス公使館と同じくしかるべきところに電話をして朽ち果てぬように修復のお願いをした

軽井沢の美観の基礎である落葉松の植樹に尽力された方が住まわれた家屋を写すことが出来た喜びは大きなものがある

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10代の証  第十二章

2017.12.08



秋13


秋14


旧近衛文麿別荘

明治時代の実業家雨宮敬次郎「1846-1911」軽井沢の土地開墾者として

その名は現在においても軽井沢の地元では知らぬ人はいないほどである

旧雨宮邸の西側には周囲が木立におおわれた雨宮池がある 雨宮池の東端に移築された市村記念館

近衛文麿が別荘として実業家である野沢源次郎から購入した大正時代に洋風住宅建築会社あめりか屋が建設した家屋である

昭和7年近衛文麿と親交があった市村今朝蔵が購入し翌年移築され市村家のご遺族より軽井沢町に寄贈・軽井沢町文化財指定

外観は手入が行き届いているように見える

開館されているので内部も同じように手入がされていると思われるが現在耐震補強工事予定の為休館

「平成29年9月1日から平成30年3月31日」

私がこの建物を探したのは10月であった また来訪したいと思う建物の一つとなっている

※市村今朝蔵「1898年-1950年」日本の政治学者

日本女子大学教授、早稲田大学教授、日本女子大学理事、森村学園理事、明星学園理事長等を歴任

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りら

Author:りら

写真は初恋と同じだね
撮る度ごとに心煌めく

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